縁起は科学である

 酸素と水素が出会い、水という新しいものを生み出す現象を、科学では「創発」と呼ぶ。

これらの分子が集まり、タンパク質や炭水化物を創発し、
ついには生命体を生み出す。

水の性質(本質)は酸素にも水素にも存在しないが、
この二つの元素が1対2の比率で出会うと、ついに水が生まれる。
まさに神秘的であり、奇跡と言っても過言ではない。

この二つが出会わなければ、水という存在はない。
「これがあるからあれがあり、これがなければあれもない」という
仏陀の縁起法の命題こそ、科学そのものである。

水だけではなく、この世のすべての物質と、それらによって形づくられる事物、
さらにそこから生じるすべての現象までもが創発され、
森羅万象として現れている。

人間の体を形づくるもの、そしてその体が変化していく過程、
その体によって感じるあらゆる感覚や思考までも、
創発によるものに他ならない。

このように、無限に現れたり消えたりするこの作用こそが、唯一の「生命」である。
私たちの体の中でも作用し、やがて死んで土に還ったとしても、
この作用は一瞬たりとも止まることはない。
生きた体の中でのみ生命として作用すると錯覚し、
そのために「生と死」に囚われるのだ。

創発性は有機物と無機物を区別しない。
石のかけらも、枯れた葉っぱも、
いまだ大いなる創発の流れの中にある。

この道理を心の奥底から真に体得することができれば、
誰もが「無情説法」を聞き取ることができるだろう。

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